本原の丘の上にあり、鉄筋コンクリートの3階建てで外壁は赤レンガ造りの建物でした。当時ここは、浦上第一病院(現在、聖フランシスコ病院)になっており、まだ残り火のくすぶる中、秋月辰一郎医長の指揮のもと、必死の救護活動が行われていました。