長崎市立商業高校(原爆被爆記録写真集より)

●1944年から市立商業学校の一部には三菱長崎兵器製作所の精密工場、機械工場があり、 学徒も動員されていました。そして2階の教室や講堂には、 長崎県の非常備蓄用主要食糧が保管されていました。  原爆により、鉄筋コンクリート3階建て校舎の本館および別館、講堂などいっさいが倒壊し、 全焼しました。そして教職員13人、生徒162人、合計175人の人々が動員先や自宅などで犠牲となりました。

●学校の被災状況
 「本館は白亜の校舎の形は留めていたが、窓枠は吹き飛び、鉄骨は飴のように折れ曲がり、各種の機械工具は赤黒く焼けただれ、亡くなった人のものであろう作業服の焼け残り、言い表しようのない異臭が漂っていた。そして廊下の壁には、最後の力を振り絞って書いたと思われる肉親への血文字が書き残されていた。」

(『長崎原爆戦災誌』第一巻、総説編)