●広島・長崎の被爆体験と核兵器廃絶への願いと思想を、『ヒロシマ・ナガ サキの心』と呼んでいます。しかし、世界ではただ「ヒロシマ」という単語 でこれを表現することが多く、日本でも同じような表現が見られます。もち ろん、日本への原爆攻撃とその結果を「ヒロシマ」とだけいうのは十分では ありません。「ナガサキ」は「ヒロシマ」の補足ではありません。アメリカ は、第二次世界大戦終幕に当たって、ヤルタ協定に基づくソ連の対日戦参加 の時刻表をにらみながら、広島への原爆投下3日後、広島のウラニウム爆弾 とは異なるプルトニウム爆弾を長崎に投下しました。長崎は広島とは相対的 に異なる特徴をもっています。──軍事・政治・地理的に、また歴史的にも 独特な社会風土を持つ都市であり、原爆によるダメージと市民の記憶にも長 崎独特のニュアンスが刻印されました。

 広島・長崎の体験、それは人類最初の核戦争の体験でしたし、軍事的には「先制核攻撃」や「限定核戦争」の実例なのです。当時、1、2発しかなかった核爆弾は、いまや数万発、100万倍以上の威力をもち、また先制核攻撃が限定核戦争として終わる保証など全くありません。

 奇襲・瞬間性・無差別・根絶性、全面・持続・拡大性という原爆被害の特質は、さらに増幅され、これは人類滅亡の危機につながっています。

 多くの外国人が、日本の侵略戦争・国家総動員体制の下で強制連行され、そして被爆しました。

 広島・長崎の被爆構造には、アジア・太平洋戦争における日本軍国主義による加害・被害とともに、アメリカの原爆帝国主義による加害・被害が二重に刻印されました。

 こうして「ヒロシマ・ナガサキ」とは、日本国民にとっての反原爆の思想的原点であるだけでなく、さらに世界の諸国民それぞれの戦争、抑圧や飢餓の体験と結びつきながら、核兵器も抑圧や飢餓もない、新しい世界をきずくための、人類友愛と連帯の思想的原点ともなりつつあると言えるでしょう。

 そして、広島と長崎という2つの被爆姉妹都市が、1つに合わさって初めて原爆被爆体験の全体像とその本質、そしてその真の思想化も可能となるはずです

写真:ヒロシマ・ナガサキ原爆写真より