これは例年8月9日発表される「長崎平和宣言」の中心テーマです。原爆被害の実相究明のためには、原爆開発から広島・長崎への投下に至る科学的な研究、国際法を含めた総合的視点からの解明が不可欠です。核兵器廃絶には、核兵器の脅威と有害性を明らかにするとともに、核廃絶に至る現実的な方法を究明せねばなりません。「ヒロシマ・ナガサキの声」は、このような研究や学習によって、一層説得性を増し、全人類を動かすことになるはずです。


最初の長崎平和宣言(1948)

 わが長崎の地は、世界における原爆の基点として世界戦争に終止符を打った土地であって、この原爆の未曽有の惨禍を一転機として平和な明るい希望がもたらされた。その意味から長崎は世界的な地位において最も印象の深い土地であり、アトム長崎を再び繰り返すなと絶叫することによって、恒久的平和は確立するものと信じて疑わぬ。我々は、この文化祭の式典に当たって、ノーモア・ナガサキを力強く標ぼうし、広く世界に宣言せんことを期し、ここに宣明する。(市民代表)





「長崎平和宣言」(2003)

 
 近代的な建物や家々が立ち並び、緑豊かな現在の長崎のまちからは、あの日の出来事は想像できません。第二次世界大戦の末期、58年前の8月9日、午前11時2分。米軍機が投下した一発の原子爆弾は、松山町の上空約500メートルで炸裂しました。熱線と爆風、放射線が一瞬にして人とまちを襲い、長崎はこの世の地獄となりました。死者7万4千人、負傷者7万5千人。死を免れた人々の多くは、身体と心に癒すことのできない深い傷を負い、今なお原爆後障害や被爆体験のストレスによる健康障害に苦しみ続けています。私たちは、このような悲惨な体験を繰り返してはならないと、核兵器廃絶と世界平和を訴え続けてきました。

 そのような中で、今年3月、米英両国は、イラクの大量破壊兵器保有を理由に、国連の決議を得ることなく、先制攻撃による戦争を強行し、兵士のほか、多数の民間人が犠牲となりました。国際協調による平和的解決を求める私たちの訴えや、世界的な反戦運動の高まりにもかかわらず、戦争を阻止できなかったことは、無念でなりません。

 昨年1月、米国政府は、核兵器を巡る政策・戦略の見直しを行い、小型核兵器などの開発や核爆発実験の再開を示唆し、場合によっては核兵器の使用も辞さない姿勢をあらわにしています。一方、インド・パキスタンの核実験に続いて、朝鮮民主主義人民共和国の核兵器保有発言が、国際社会の緊張を高めています。核軍縮と核兵器拡散防止、あらゆる核実験禁止などの国際的取り決めは、今や崩壊の危機に瀕しています。

 かつて長崎を訪れたマザー・テレサは、原子爆弾によって黒焦げになった少年の写真を前に、「すべての核保有国の指導者は、ここに来てこの写真を見るべきです」と述べました。米国をはじめ核保有国の指導者は、今こそ原爆資料館に来て、核兵器がもたらす悲惨な結末を自分の目で見てください。

 日本政府は、被爆国の政府として、核兵器廃絶へ向け先頭に立つべきです。日本の軍事大国化や核武装を懸念する内外の声に対して、専守防衛の理念を守り、非核三原則の法制化によって日本の真意を示してください。近隣諸国と協力して、朝鮮半島非核化共同宣言を現実のものとし、日朝平壌宣言の精神に基づき、北東アジア非核兵器地帯の創設に着手すべきです。

 若い世代の皆さん。人類は幸福を追求するために、科学・技術を発達させてきました。その使い方を誤ったとき、人類に何がもたらされたのか、長崎・広島で何があったのかを学んでください。今世界で起こっていることに目を向け、平和を実現するためにできることを考え、互いに手を取り合って行動しましょう。

 長崎では、高齢に達した被爆者が、懸命に被爆体験を語り続けています。多くの若者が、積極的に平和のための活動やボランティアに取り組んでいます。長崎市は、これからも被爆体験を風化させることなく継承し、学び、考える機会を提供します。本年11月には、平和を願う世界の人々やNGOとともに、2回目の「核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」を開催し、2005年に国連で開かれる核不拡散条約再検討会議に向けて、核兵器廃絶を求める各国市民の声を、長崎から発信します。

 被爆58周年にあたり、原爆で亡くなられた方々の苦しみを深く思い、御霊の安らかならんことを祈りつつ、長崎市民は、核兵器のない真の平和な世界を実現する決意を宣言します。


    2003年(平成15年)8月9日

                    長崎市長  伊藤 一長


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